MTG熱が再燃してしまった男の話
マジックザギャザリングアリーナ(以下MTGアリーナ)の日本語対応が開始された今日この頃、皆さんはどうお過ごしだろうか?
私はさっそく休日を潰すことになった。
そんなMTGに小学生の頃から熱中していた人間が現環境※1へ復帰するには、またと無い機会だろう。
※1 MTGではデッキに使用出来るカードの範囲を限定するルールがある。プレイヤー間のカード資産の差を無くすためだ。〝スタンダード〟というルールでは新しいカードのみを使ってデッキを組む(基本的には販売されてから2年で使用できなくなる)ため、ゲーム環境が常に変化し続けている。
今日はそんなMTGアリーナのプレイヤー人口を増やすため、MTGのルールについて懇切丁寧に説明する記事ではない!
再燃した熱を持て余した中年男性がMTGの思い出を書いておこう、というただの日記である。ご容赦願いたい。
①:いかにして私はMTGに出会ったか。
あまりはっきりとした記憶は無いが、時期としては小学校3年か4年の頃、当時毎日のように遊んでいた友人に誘われて始めたことは確かだ。
販売していたカードパックで言えばウルザブロックや基本セット第6版辺りだった。
当時の私たちはあまりよくルールを理解しておらず、ルールブックを読みながらプレイしていたと記憶している。(MTGはルールブックに載っているルールが全てだ。それが当たり前じゃないかって?それが理想だが、理想でしかない。)
私が主に使用していたのは緑※2のデッキだった。
大きく、そして強靭なクリーチャー※3達が好きだったのだ。
※2 MTGには緑白青黒赤の5色のカードが存在しており、それぞれに特色がある。緑は自然や生物、実りや成長の色。巨大な生物を操り、ひ弱な一般人をムキムキにする色だ。
※3 MTG世界に住む怪物やら兵士やら一般人やら壁(?)やら様々な者を表したカード。戦場に出て攻撃したり、プレイヤーを守ったり、特殊な能力を発揮したりする。
その中でもお気に入りだったのは、今でも世界中で愛されている
《甲鱗のワーム/Scaled Wurm》だ!
見た目も格好良いし、パワーとタフネス(以下P/T)※4も非常に高い!
プレイヤーの初期ライフは20点であり、3回殴れば死ぬのだ!強い!
フレイバーテキスト※5も格好良い!災厄の象徴だぞ!?怖い!
効果は持っていないが小学生には関係なかった。
※4 クリーチャーに与えられたステータスであり、右下に書かれた数字のことを指す。左側に書かれた数字がパワーであり、攻撃力を表す。右側はタフネスで、生命力を表す。
※5 そのカードに関する背景設定であったり、誰かしらのセリフであったり、詩の1節であったりが書かれている。そのカードの風味付けとなっている。効果の無いカードは枠が余っているため、たくさんのフレイバーテキストが書き込めて格好良くなることが多い。
《力の化身/Avatar of Might》等を手に入れた後でも甲鱗様(我々の間では一般的にそう呼ばれる)がデッキから抜けることは無かった。はずだ。(思い出とは美化するものである)
時々買うパックから出てきたレアカードや、友人たちと交換したカードでデッキを組み戦う。もちろん勝てるようにデッキ調整は行っていたが、好きなカードを使うことのほうが主目的だったように思う。
パックを開封するドキドキ。友人とカードを交換するコミュニケーション。そしてデッキを組んで戦い遊ぶ楽しさ。
ウィザーズ社が目指したTCGとはそういうものだったのだろう。
そんな感じでゆるゆるとしたMTGライフを満喫していたが、高校生の時に転機が訪れた。
②:最新環境からの離脱
高校生になってからもMTG自体は続けていた、しかしメインでは無くなっていた。
なぜなら、国産TCGの遊戯王が本格的に流行りだしていたからだ!
特に遊戯王GXのアニメが始まった頃から私は遊戯王にのめり込むようになった。
ちなみに遊戯王でも強靭なモンスターを使用することに凝っていた。プレイスタイルはどこに行っても変わらないらしい。
小学生~中学生時代にMTGをやっていた友人と別の高校へ行ったというのも大きな理由だろう。
高校生になってできた友人の中にもMTGを始めた者達が居たが、少数だった。(彼らは後に私よりMTGへのめり込んだ)
さすがに2つのTCGをやるだけの財力は当時の私には無かった。
そんなこんなでMTGの最新環境から私は離れていった。
一旦離れても、結局またすぐ再開することになるのだが。
③:再燃した炎はより強く
MTGから離れたのも束の間、再びMTGへの情熱が燃え上がることになった。
しかもより一層の強さでだ。
きっかけは友人から「最近、ヤバイデッキがある」という誘いを受けたことだった。
そのデッキが産声を上げたのは悪名高きミラディンブロック時代だ。
スタンダード環境下で9枚もの禁止カード※6を産んだ。と言えば一部の人達には伝わるだろうか。特に酷いのは《頭蓋骨絞め/Skullclamp》というカードだ。なぜMTG開発部はこんなカードを刷ってしまったのだろうか。嘆かわしい…(一部のプレイヤーは憤慨しつつもデッキに4枚投入していた。それ以外は憤慨せず4枚投入していた。悪いのは開発部であってカードではないのだ)
※6 MTG開発部では日夜テストプレイが行われており、スタンダードと言うカードプールを制限した環境ではほとんど禁止カードが産まれない。通常であれば。責任者は社長室へ呼ばれたことだろう。
友人がホクホク顔で組んできたデッキは正に!9枚ものカードが禁止される要因となったデッキだったのだ!(その当時はまだ禁止されていなかった。おお、神よ)
そのデッキは 電結親和と呼ばれていた。
詳しくは書かないが、簡単に組めて簡単に使えて非常に強いデッキだった。
なので大会環境は新和系デッキ一色となり非常に退屈だったらしい。(プレイヤーの多くは低いコストで高い勝率が出せるデッキを好む傾向にある)
もちろん苦手とするカードはあるが、当時の私が知り得るわけもなく完敗した。
完敗し、感じた。「コンボデッキを使うのも面白そうだ」と。
デッキを組む以上ある程度のシナジー※7は意識していたが、コンボデッキと言えるデッキを使ったことは無かった。
※7 相乗効果。この場合、カードとカードの相性が良いことを指す。
そんな私が、新たな世界への第一歩として選んだデッキは
であった。
始動には制限があったが、勝ち手段が多く「コンボデッキを使っている感」が強かったので非常に楽しかった。後の禁止改定で完全に死ぬまでは…
④:コンボを決めて勝つ!という快感
使えなくなってしまったものは仕方ない。
私は次なるデッキを模索検索した。(当時は既にインターネットが普及していたため、それは容易であった)
次に目を付けたデッキは
であった。
アイアンワークスと違って勝ち手段が限られていたが、《機械の行進/March of the Machines》の独特な使用感と《抹消/Obliterate》を撃った時の爽快感。そして空っぽになった戦場を自軍クリーチャーが駆け抜けていくことの愉快さが私を虜にした。
さらに、スタンダードではなくエクテン環境だったかもしれないが
エターナルスライドにも手を出していた。
これも条件が揃えば相手を完全にロックすることが可能であり、非常に楽しかった。(やられたほうは楽しく無い。しかし私は使う側なので特に問題は感じなかった)
単純に《すき込み/Plow Under》を使うのが楽しかった、という部分もある。
(余談だが、これ以降遊戯王でもデッキトップへバウンスするカードがお気に入りになった)
この頃の私はコンボデッキに心酔しており、ビートダウン系※8は余ったカードで片手間に組む程度であった。
※8 クリーチャーによって殴り倒すことをメインとしたデッキの総称。
そんな私をまたビートダウンの道へ引き戻したデッキが登場する。
と、思っていたよりも長くなってしまったので一旦切ることにしよう。
MTGアリーナもやりたいので、仕方ない。
次回、⑤:いかにして私はビートダウンへの情熱を取り戻したかへ続く